「寝台の船」(吉行淳之介)

相反する2つの要素が一つになっている

「寝台の船」(吉行淳之介)
(「日本文学100年の名作第5巻」)

 新潮文庫

女学校の講師をしていた「私」は、
精根尽き果てかけていた。
「私」は女学校の教師をして、
辛うじて生計を立てていた。
ある夜、
街で酒を飲んでいた「私」は、
和服の女に声を掛けられ、
彼女の部屋で一夜を共にする。
しかし彼女は朝…。

「彼女」は…、男だったのです。
と書いても、
現代なら誰も驚かないでしょう。
でも本作品が発表されたのは1958年。
男娼を扱った小説など
珍しかったはずです。
男娼ミサコは、今でいう
性同一性障害」なのでしょう。
身体は男性であり心は女性である。
相反する2つの要素が
一つになっているのです。
それは主人公「私」にも
いくつか見られます。

まだ若い年齢であるはずなのですが、
「精も根も尽き果て」ているのです。
「私の細胞に、
若い漿液が充ちていることを
思い出させてくれる、
ちょっとした出来事を
待っ」ているのですから、
若い身体と枯れた心が
同居しているのでしょう。

女子校に勤務、
「少女たちの若い軀をつつみこんで
微かに揺らいでいる教室の空気は、
私の胸をふくらませた」という
うらやましい環境に身を置きながら、
男娼の妖しい魅力に
はまっていきます。
健全な感性と不健康な興味・関心が
一体化しているようです。

そして何よりも、
「私の心は、彼女を受容れているのだが、
私の皮膚は、
きびしく彼女をはじき返してしまう」、
つまりミサコ同様、
身体と心が相反しているのです。

それでいながら、
「私」はミサコに対して
愛情を注ぐようになります。
講師を辞し、
彼女とも別れる決意をしながらも、
わずかばかりの退職金で
外国の香水を買い、
彼女に贈ろうとします。
そして次のように空想します。
「彼女は女になってゆき、
 私たちの密着した軀の間で、
 彼女の性器だけ、充実し、
 逞しく変化してゆくだろう。
 私は腕をのばし、香水の瓶を摑み、
 むなしく聳え立った彼女の男根に、
 瓶の中の液体を
 降りそそぐことになるかもしれない。
 いつまでも、
 彼女が女になり切った徴しである
 その力に満ちた男根が、
 匂い高い靄につつみ隠されるまで、
 降りそそぐだろう。」

「精根尽き果てかけ」た「私」と、
女になりたくてもなれないミサコ。
それぞれの悲しみと愛情が重奏し、
不思議な彩りを見せています。
異形の性と愛を描いた、
吉行淳之介の傑作です。

(2019.5.13)

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